陸上選手は「職業」になるのか
小学生以下の子どもたち1000人を対象とした「大人になったらなりたいもの」アンケート(第一生命調査)で、男子のなりたいものとして「陸上選手」が7位に入ったという。
前年度は36位だった「陸上選手」は、1989年のアンケート実施以来、これまで一度もトップ10にランクインすることはなかった。
それでも近年、男子100m走で桐生祥秀(日本生命)によって日本人初の9秒台が実現され、男子マラソンでも設楽悠太(ホンダ)と大迫傑(ナイキ)が相次いで日本記録を更新して報奨金・1億円を受け取るなど、日本人選手の活躍が目立った。それが今回の結果にもつながったのだろう。
© 文春オンラインリオ五輪では400mリレーで銀メダルを獲得した桐生祥秀(写真右) ©JMPA
そんな報を聞いて、かつて活躍していたある選手の言葉を思い出した。
「こういう選手が日本の頂点に立つのか」
「陸上競技で食べていくのは正直、現実的ではない。だから僕は野球を選ぼうと思っています」
彼は陸上競技で中学時代、何度も全国大会で日本一に輝いたアスリートだった。同世代の競技者としては、まさに雲の上の存在。同じ会場でその姿を見た時には、中学生離れしたフィジカルの強さや運動能力は「こういう選手が日本の頂点に立つのか」と思わせるのに十分な迫力だった。
一方で、彼は野球の分野でもその能力をいかんなく発揮。甲子園で活躍するような強豪校からもいくつも声をかけられていた。
進路、どうするんだろう。
そんな周囲の疑問に対して彼が出したのが、前述の答えだった。
結果、彼は甲子園常連校へと進学し、1年生からベンチ入りすると、2年生からは時に4番も任されるなど活躍を見せた。念願の甲子園にも出場して、順風満帆の高校野球生活だっただろう。
その後、彼は希望通りプロの球団にドラフトで指名され、無事にプロ野球選手の仲間入りを果たす。「野球で食べていく」という入口までは辿りつけたわけだ。
だが、もともと抱えていたケガが悪化すると、プロ入団後わずか1年でチームを自由契約になる。その後は、野球の世界で表舞台へと戻ることはなかった。そして数年後、再びその名前を目にしたのは――新聞の三面記事でのことだった。
プロスポーツの世界は厳しい世界だ。与えられた猶予の中で結果が残せなければ、自由契約という名のクビになることもある。それ自体は仕方のないことだろう。
だが、当時の彼の境遇を思うと、例えばその時に「職業・陸上選手」という発想が出てこなかったことがとても残念に思える。
彼がプロ野球を自由契約になったのは20歳の時。世間的には大学生と変わらない年代であったし、「もし野球がダメなら、もう一度陸上競技の世界に戻れたら……」と、新聞を読みながら思った記憶がある。
日本特有の「実業団」システム
そんな昔話を振り返りながら考えたのは、これまで陸上選手が子どもたちの将来の夢に入ってこなかった大きな理由の1つは、陸上競技という種目自体が、多くの人にとって「職業」として認識されていなかったことではないか。
学生時代に日本一に輝いた選手にすら「食べていくのは現実的ではない」と思わせてしまう状況があったわけだ。そのハードルが少しでも下がり、「陸上競技でなんとか食えるかな」と思えていれば、仮に他競技で道を絶たれた後でも選択肢のひとつとして考えることができたはずだ。
世界的にも珍しいが、現在の日本陸上界で競技を仕事としている選手のほとんどは、実業団に所属する組織の一員という形式をとっている。彼らは企業の「(契約)社員」で、一般業務を免除される代わりに、競技練習や大会参加で社のイメージアップやアピールに貢献する。普通の会社員と同様に月々の給料が支払われ、社によっては現役選手を引退した後も組織に残り、社業に専念することもできる。安定を考えれば非常に合理的なキャリアともいえる。
駅伝以外でも「陸上競技の選手」という職業が浸透した
ただ、この形式での競技が可能なのは、ほとんどが長距離選手。年始の箱根駅伝をはじめ、駅伝という陸上競技の中では特異な「チームスポーツ」人気が異常に高い、日本特有のシステムでもあるのだ。しかも、チームの存続は当然ながら会社の経営に大きく左右される。年始には、陸上界の名門であった日清食品グループの陸上部が大幅縮小されるというニュースも話題になった。
だからこそ、近年の選手たちの頑張りによって、駅伝以外の種目でも「陸上競技の選手」という職業が浸透したことは非常に大きな進歩だと思う。
競技以外に仕事を持ちながら生活している選手も多い
そもそもスポーツ選手が「職業」として認知されるには、大きく2つの要素が関わってくると感じる。
ひとつは競技を続けながら生活できる収入を得ていること。これは別に競技だけで生計を立てるという意味ではなく、その競技を継続しながら、副業を含めて食っていけるという状態だ。
そしてもうひとつが、その競技の結果やプロセスで、一定以上の人に影響を与えているということだろう。例えばサッカーのJ2、J3のチームやバスケットボールのB2、B3のチームには、純粋なプロではなく競技以外に仕事を持ちながら生活している選手も多い。それでもチームそのものの影響力や地域性などで、多くのファンにその活動を認知されている。だからこそ、彼らは職業として「サッカー選手」「バスケットボール選手」をやっていると胸を張れるわけだ。
翻って陸上競技を考えると、いままさにこれらの条件を埋めるチャンスがようやくやって来ている。
前述の桐生や大迫は、現在、実質的にプロ選手として活躍し、複数の企業とスポンサー契約を結ぶ形で競技を続けている。他にも欧州でのリーグ戦などで上位に入ることで、賞金を稼ぐことも可能だ。そうしてメディアの露出を増やすことで、多くの子どもたちの憧れになることもできる。
過去ないほどに陸上競技そのものに多くの人の目が向いている
また、近年は実業団ではなく普通の企業や自治体に勤めながら競技を続けるようなケースも増えてきている。
埼玉県庁の職員として活躍し、今年4月からプロになる川内優輝はその典型的なパターンだろう。陸上競技が個人競技であるという特性を上手に活かして、自分の時間をやりくりしながら実力をつけて行ったケースだ。川内の場合は、そのバックボーンから一般の市民ランナーたちも共感を持ちやすく、影響力は大きかった。学生時代の実績には乏しいが競技を続けたいと思う若手選手にも、新しい道を提示してくれたともいえる。
今回の調査で結果が出たように、現在、過去ないほどに陸上競技そのものに多くの人の目が向いているのは事実だ。だからこそ、運営サイドにはこの追い風を止めることなく、「職業・陸上選手」の認知を広める努力をしてほしいと思う。
東京五輪というイベントや、1億円の報奨金というインパクトの強さだけで終わってしまっては、五輪後にはまた元に戻ってしまう。SNSを通じた新たな大会の運営や、ストリーミングでの競技配信など、新たな可能性を感じる施策も増えてきている。そういった新しい要素も活用しながら、各選手や運営側が世間への影響力を高めることで、「子どもたちの将来の夢」としての立場を確立できるのではないだろうか。
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